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国内2017/03/15

石垣りん:「生」を書き続けた詩人

 

「石垣りん」という詩人がいました。

 

彼女は、人々の生活に根差した数多くの詩を世に残しました。

彼女の詩は、綺麗なものや耳ざわりの良いものだけでなく、日常に確かに存在する人生の暗部からも目をそらしませんでした。

石垣りんさんの詩は、「生きること」をどこまでもリアルに描き出し、人間の愛おしさと悲しさを浮き彫りにしています。

 

関東大震災と第二次世界大戦を経験し、また15歳から55歳まで銀行員として勤めるかたわら、生涯を通じて詩を書き続けた石垣りんさん。

今回は彼女の詩と共に、「石垣りん」という1人の女性詩人について紹介したいと思います。

 

 

家族との死別、別離

 

石垣りんさんは、1920年2月21日に東京で生まれました。

 

4歳の頃、関東大震災の怪我が原因で実の母を亡くし、その後18歳まで3人の義理母のもとで6人兄弟の長女として育ちました。

幼いころから詩が好きで、雑誌に詩を投稿し、図書館で詩集を読むような少女だったそう。

 

父親の再婚、離婚、そして妹や2人の義理母との死別など、石垣さんは複雑な家庭環境の中に身を置くことになります。

彼女の詩には、そうした家族との死別や別離をうたったものを見つけることができます。

 

 

『村』

 

ほんとうのことをいうのは

いつもはずかしい。

 

伊豆の海辺に私の母はねむるが。

少女の目

村人の目を盗んで

母の墓を抱いた。

 

物心ついたとき

母はうごくことなくそこにいたから

母性というものが何であるか

おぼろげに感じとった。

 

(中略)

 

叔母がきて

すしが出来ている、というから

この世のつきあいに

私はさびしい人数の

さびしい家によばれて行った。

 

母はどこにもいなかった。

 

 

『なのはな』

 

なのはな

うつくしいな

日本中に

さいている

なのはな

 

なのはな

やさしいな

でもこれは

千葉県の

なのはな

 

なのはな

なつかしいな

いもうとは

千葉にねむってる

いつまでも

 

なのはな

いのちの春は

めぐるよ

はるにさけ

いもうと。

 

 

15歳で日本興業銀行に就職

 

尋常小学校(戦前の初等教育機関)を卒業した15歳の年、石垣りんさんは日本興業銀行に事務員として就職します。

学校の勉強よりも、お金を稼いで自分の好きなことをしたいという自立心からでした。

 

55歳で定年退職するまで、彼女は銀行員として勤めあげました。

銀行員として働きながら、石垣さんは同人誌や職場の新聞・雑誌に作品を発表しつづけます。

 

働くということ。自分の時間を差し出し、賃金を得るということ。

そして生身の「人間」に相対する「会社」という無機質な存在。

彼女の詩には、生活の糧を得るための営みを描いたものが多く見られます。

その一部を見てみましょう。

 

 

『貧しい町』

 

一日働いて帰つてくる、

家の近くのお惣菜屋の店先きは

客もとだえて

売れ残りのてんぷらなどが

棚の上に まばらに残つている。

 

そのように

私の手もとにも

自分の時間、が少しばかり

残されている。

疲れた 元気のない時間、

熱のさめたてんぷらのような時間。

 

お惣菜屋の家族は

今日も店の売れ残りで

夕食の膳をかこむ。

私もくたぶれた時間を食べて、

自分の糧にする。

 

それにしても

私の売り残した

一日のうち最も良い部分、

生きのいい時間、

それらを買つて行つた昼間の客は

今頃どうしているだろう。

町はすっかり夜である。

 

 

『定年』

 

ある日

会社がいった。

「あしたからこなくていいよ」

 

人間は黙っていた。

人間には人間のことばしかなかったから。

会社の耳には

会社のことばしか通じなかったから。

 

(中略)

 

たしかに

はいった時から

相手は会社、だった。

人間なんていやしなかった。

 

 

戦争がはじまる

 

第二次世界大戦がはじまると、戦火は石垣さんの周囲にも忍び寄っていきます。

石垣さんは、戦争の記憶を綴った詩を多く残しました。

 

 

『崖』

 

戦争の終り、

サイパン島の崖の上から

次々に身を投げた女たち。

 

美徳やら義理やら体裁やら

何やら。

火だの男だのに追いつめられて。

 

とばなければならないからとびこんだ。

ゆき場のないゆき場所。

(崖はいつも女をまつさかさまにする)

 

それがねえ

まだ一人も海にとどかないのだ。

十五年もたつというのに

どうしたんだろう。

あの、

女。

 

 

『弔詞』職場新聞に掲載された105名の戦没者名簿に寄せて

 

ここに書かれたひとつの名前から、ひとりの人が立ちあがる。

 

ああ あなたでしたね。

あなたも死んだのでしたね。

活字にすれば四つか五つ。その向こうにあるひとつのいのち。悲惨にとぢられたひとりの人生。

 

たとえば海老原寿美子さん。長身で陽気な若い女性。1945年3月10日の大空襲に、母と抱き合って、ドブの中で死んでいた、私の仲間。

 

あなたはいま、

どのような眠りを、

眠っているのだろうか。

そして私はどのように、さめているというのか?

 

死者の記憶が遠ざかるとき、

同じ速度で、死は私に近づく。

戦争が終わって二十年。もうここに並んだ死者たちのことを、覚えている人も職場に少ない。

 

死者は静かに立ちあがる。

さみしい笑顔で

この紙面から立ち去ろうとしている。忘却の方へ発とうとしている。

 

私は呼びかける。

西脇さん、

水町さん、

みんな、ここへ戻って下さい。

どのようにして戦争にまきこまれ、

どのようにして

死なねばならなかったか。

語って

下さい。

 

戦争の記憶が遠ざかるとき、

戦争がまた

私たちに近づく。

そうでなければ良い。

 

八月十五日。

眠っているのは私たち。

苦しみにさめているのは

あなたたち。

行かないでください。皆さん、どうかここに居て下さい。

 

 

1943年、石垣さんの家は空襲で全焼します。

敗戦後、一家6人はわずか10坪ほどの借家に住むことになるのでした。

 

 

貧しさと家族

 

戦後に父親が病に倒れると、石垣さんは父に代わって一家6人の大黒柱として家族の生活を支えました。

 

1人の肩にのしかかる家計の重さ。

死別や別離を通じて複雑にできあがった家族への気持ちを、彼女は詩にしています。

 

 

『私の日記』

 

朝です

ふすまをひとつへだてた、一軒の家の中で

唯、身を横たえて生きている父と、隣り合っている

親子、という緊密な

しかも世代をわかつ二人の人間の間隔が

わずか二、三メートルの差であることを見せられるのは

何という気味の悪さでしょう

 

おおいやだ

あの声、タカコオシッコ、という泣き声

あの残された甘やかなもの

 

幼児の愛らしさと同居しているあの言葉

あの言葉の中のどこに

六十年の歳月があろう?

どれだけの成長があろう?

老いつかれた父の唇にのぼる

あまりに稚拙な生理の表白。

 

おおその言葉のように

私も父と同居だ

私は今、かろうじて若く

手も足も自分の自由になり

半身不随の父の苦しみを知るよしもない

そのへだたりが僅か二、三メートルであることを

私は見るのだ

私の一生かけた成長のあとが

あの稚拙さで終わる日がふすまをへだててありありと見えるのだ。

 

 

『いじわるの詩』

 

お義母さん

これはあなたの家庭です

この家にひと組の夫婦

人間のいとなみを持つものは

もう働くことの出来ない私の父と、あなただけ。

私は働いてあなた達ふたりと

失業の弟ふたり養うが

これは私の家庭ではない。

 

この家に必要なのは

もはや私ではなく、私の働き。

この家の中に私はこうして坐っているが

月給を入れた袋のよう

私の風袋から紙幣を除くと何もないのだ

この心のむなしさ。

お義母さん

これはあなたの家庭です。

 

 

『落語』

 

世間には

しあわせを売る男、がいたり

お買いなさい夢を、などと唄う女がいたりします。

 

商売には新味が大切

お前さんにひとつ、苦労を売りに行っておいで

きつと儲かる。

 

(中略)

 

金の値打ち

品物の値打ち

卒業証書の値打ち

どうしてこの界隈では

そんな物ばかりがハバをきかすのか。

 

無形文化財などと

きいた風なことをぬかす土地柄で

貧乏のネウチ

溜息のネウチ

野心を持たない人間のネウチが

どうして高値を呼ばないのか。

 

四畳半に六人暮らす家族がいれば

涙の蔵が七つ建つ。

 

 

 

詩の中にゆらめく情熱

 

石垣りんさんは、2004年に84歳で亡くなるまでに10冊の詩集、4冊の散文集を発表しました。

 

決して平坦ではない道を歩んできた石垣さんは、優しい顔つきで、綺麗な声をしていたと言います。

柔和な外見からは一見想像がつかないような詩への情熱は、彼女の内側で生涯燃え続けていました。

私たちは彼女のその情熱のゆらめきを、詩の間から感じることができます。

 

 

『くらし』

 

食わずには生きてゆけない。

メシを

野菜を

肉を

空気を

光を

水を

親を

きょうだいを

師を

金もこころも

食わずには生きてこれなかった。

ふくれた腹をかかえ

口をぬぐえば

台所に散らばつている

にんじんのしつぽ

鳥の骨

父のはらわた

四十の日暮れ

私の目にはじめてあふれる獣の涙

 

 

『洗たく物』

 

私どもは身につけたものを

洗っては干し

洗っては干しました。

そして少しでも身ぎれいに暮らそうといたします。

ということは

どうしようもなくまわりを汚してしまう

生きているいのちの罪業のようなものを

すすぎ、乾かし、折りたたんでは

取り出すことでした。

 

雨の晴れ間に

白いものがひるがえっています。

あれはおこないです。

ごく日常的なことです。

あの旗の下にニンゲンという国があります。

弱い小さな国です。

 

 

人間の生活、命を生きるということに向き合い、ときにユニークに、ときに生々しく言葉を紡いだ石垣りんさん。

ぜひ彼女の詩集を手にとって、その世界に触れてみてください。

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