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現代2017/12/8

「好き」への想いがつくる道 – 羊毛作家:渡辺泰子(ワタナベ ヤスコ)さん①

「好きだな、楽しいなって感じることをすごく大切にしていくと、大切に思った分だけ道の幅が広がるんです。だから、大丈夫だよ、と伝えたいです」

やわらかい笑顔で話すのは、羊毛作家として活躍する渡辺泰子さん。

 

「やりたい!と思ったらじっとしていられない」という好奇心旺盛な少女だった渡辺さんは、羊毛(フェルト)と運命的な出会いを果たし、やがて作品としてそこへ命を吹き込むようになります。

 

やりたいこと、好きなこと、将来の夢…人は誰しも一度はそういったことに悩んだことがあるのではないでしょうか。

 

今回は、悩みながらも好きなことにまっすぐ向き合った一人の女性のお話をご紹介します。

OPENiTインタビュー第三弾は、羊毛作家の渡辺泰子さんです。

 

作品たちと。撮影者:古里裕美さん

 

 

◎やりたいことにひたすら挑戦!好奇心旺盛な少女時代

 

渡辺さんは、東京都葛飾区のご出身だそうですね。

はい。

東京の下町で、ネジやバネのお店をやっている両親のもとで7歳年上の姉と一緒に育ちました。

 

どのようなお子さんでしたか?

物心ついたときから絵を描いていました。

動物やポケモンの絵を描いたり、カービーの漫画を描いて独自に連載してたり…(笑)

あとは、いろんなことをやってました!バスケとか、ギターとか!

 

好奇心旺盛なお子さんだったんですね。

昔から、良くも悪くも我慢できない体質で…

気になったことはまずやってみる!という感じでした。勉強以外(笑)。

両親は私がいろいろと挑戦することを応援してくれました。

今考えるととてもありがたかったですね。

 

中高時代、どのようなことに挑戦していたんですか?

本当にいろいろやりました。

高校のときに観た『ブルークラッシュ』という映画に感動して、サーフィンをやったり…

音楽が好きで、音楽好きな仲間と軽音バンドを結成したり…。

あとは、意外だと言われるんですけど、ダンスもやっていました。ヒップホップ(笑)。

 

わー!意外ですね!

絵を描くこと以外、いまはどれもやっていないんですけどね。

でも、当時はとても楽しかったです。

いろんなことをやっていたからこそ、「自分はやっぱりものをつくることが好きなんだな」と実感できたのかもしれません。

 

なるほど。

たくさんのことに挑戦したからこそ、自分が最も興味あることがわかった感じでしょうか。

そうですね。

気になったことを片っ端からやっていったことで、自然とふるいにかけられたのかもしれません。

比較できるものが自分の中にできていくというか。

結果として、自分が一番好きなことが残りました。

 

(作品の1つ。ユニークな表情のトートバック)

 

 

◎「文化服装学院」で、羊毛と運命の出会い

 

高校卒業後、渡辺さんは「文化服装学院」という服の専門学校に進学されました。

はい。高校3年生の頃、古着のリメイクにはまっていたんです。

当時「Zipper」や「Cutie」などいわゆる青文字系(※)のファッション雑誌でリメイクが流行っていて。

「おしゃれな人になりたい!」という思いから(笑)、なんとなく服の学校に進みたいと考えていました。

 

※青文字系…「原宿系」と呼ばれるガーリーで個性的なファッション

 

周りの反応はいかがでしたか?

古着のリメイクはしていましたが、イチから服をつくったことがなかったので、母親は「大丈夫なの?」と心配していました。

でも父親は「いいね、やってみな!」と応援してくれました。

 

文化服装学院では、どのようなことを勉強していたんですか?

学校では、私のように服をつくったことがない人に合わせて服装の基礎から勉強することができました。

そして、さまざまな素材について学ぶという授業の一環で、羊毛(フェルト)を扱ったんです。

 

羊毛と初めて出会った瞬間ですね。

はい!

「ニードルパンチ」という特殊な針を使って、ウールの生地の上に重ねた羊毛をプスプス刺していくんです。

そうすると、糸を使って縫ったわけではないのに、生地と羊毛が一体化するんですね。

 

独特の立体感といった、通常の生地だけでは出せないような「表情」を出すことができる羊毛に、強い衝撃を受けました。

 

もちろん、詰め物として生地の中に綿を入れれば立体感は出せますが、何も入れずに自然に膨らむ素材というのに初めて出会ったんです。

 

「すごい!おもしろい!」と、いたく感動しました。

 

羊毛の魅力というのは、やはりその素材のおもしろさにあるのでしょうか?

イメージを造形しやすいので、素材としてユニークという魅力はもちろんありますね。

つくりかた次第で、屋根にもなるし、糸にもなるし、まさに原点の素材なんです。

お水で圧縮させるだけで形が変わっていくのは、魔法のようです。

 

実用的な部分では、耐久性が高くて、保温性に優れている点が挙げられます。

ルームシューズとか、水筒入れにも使わているんですよ。

 

バッグにつけることもできる、ペットボトルホルダー。 渡辺さんHPより

 

なんと!想像していたよりずっと多彩な使われ方をするんですね。

専門学校で羊毛に出会ってから、すぐに羊毛の道へ進んだんですか?

いいえ。残念ながら学校で羊毛についてきちんと学ぶ機会はなく、そのまま卒業してしまいました。

専門学校の卒業後、服飾のOEM会社(※)でアシスタントデザイナーとして働くことになったんです。

 

※OEM会社…他社ブランドから委託された製品を生産する会社

 

 

◎「早く帰りたい…」社会人になって迎えた暗黒期

 

専門学校卒業後、晴れて社会人となったわけですが、その頃の記憶はあまり楽しいものではないそうですね。

はい。

服飾のOEM会社に就職して、アシスタントデザイナーとして働いていたのですが、その頃はもう…なんというか暗黒期ですね(笑)。

 

それは一体なぜ?

アシスタントデザイナーといえど、1年目はほとんど事務のような仕事で、毎日が同じ作業の繰り返しになってしまうんですね。

それが、どうも自分には合わなくて…。

毎日が本当につらくて、仕事のことよりも「早く帰りたい」ということしか考えていませんでした。

 

なるほど。事務の仕事というと、合う合わないがありますもんね。

そうですね…。

本当に「いかに早く帰るか」と、それしか考えていなかったので、どこも怪我していないのに朝、出勤前にコンビニで眼帯買って付けていって「ちょっと今日体調悪いので早退します…」とか言って帰ったり…そんなことばかりしていました…。

本当にどうしようもないです…。

 

それは少しおもしろいですが…でも、本人にとってはつらい時期ですよね。

そうですね。

どんな理由であれ、仕事は仕事。しっかりやらなきゃと思いつつも、仕事に邁進できない自分が自分自身でも嫌で、しんどい時期でした。

 

会社員として働いていた当時から現在の羊毛作家に転身したきっかけとは、どのようなものだったのですか?

はい。ちょうど私がアシスタントデザイナーとして働いていた21歳のときに、父が病気になり他界したんです。

それが自分の中で、大きな転機となりました。

 

帽子制作の様子。 渡辺さんHPより

 

 

 

◎「なにも怖くなかった」。湧き上がる力をくれた父親の存在

 

お父様が亡くなられたことが、ご自身の転機になったのですね。

父は、物心ついた頃から、私がなにか「やりたい」と言うと、すべて「いいね、やってみな」と背中を押してくれました。

本当にすべてです。

専門学生時代には、洋服の勉強のためにヨーロッパにも行かせてくれて、いろんなものを見せてくれました。

 

そんな父が、今の「早く帰りたい」としか考えていない自分の姿を見たらどう思うか?

 

そう考えたときに、「このままでいいのか?」という問いが自分の中に生まれたんです。

そして、幼い頃からなにかをつくることが好きだったので、「物づくりを仕事にしよう」と決断しました。

 

渡辺さんのお父様が、決断のきっかけをくださったんですね。

そうですね。

当時の会社を辞めれたきっかけは、やはり父にあります。

 

なにも怖くありませんでした。不思議なくらい、湧き上がるような力を感じました。

それはやはり、父のおかげだと思います。

 

父自身物づくりが好きで、バネやネジのお店を営んでいたということもあります。

 

「とにかく何か1つをやり続ければ、どこかに行ける」というのは、そんな父親の姿から教わりました。

 

(ひとつひとつ丁寧につくられた作品たち。 渡辺さんHPより)

 

 

「好きなことで生きていこう」と決意し、1年間勤めた会社を退社した渡辺さん。

そして、再び羊毛の世界との運命的な出会いを果たします。

 

 

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