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現代2017/04/12

OPENiTインタビュー:つながりが道を開く – 宮川咲さん①

「結局最後は、人なんです。」

そう語るのは、都内で教員を務める宮川咲(みやかわ さき)さん。

 

周りとうまくやれず、人と関わることが怖くなった時期もあったという宮川さん。そんな彼女は今、教師という立場で生徒と向き合う日々を送っています。

 

6年前東北で起こった震災で、重機も通れない場所にいる被災者を助けたのは人の手でした。

被災地で感じた人のつながりの大切さが、人間関係につまづきがちだった自分を教師の道へとつなげたと宮川さんは言います。

 

OPENiTインタビュー第二弾の今回は、宮川咲さんにお話を伺います。

 

 

 

周りをシャットアウトして過ごした中学時代

 

中学時代は、私立の一貫校に通っていたんですよね。

はい。元々幼い頃から習っていたスポーツがあって、中学でも続けたいと思っていました。

部活としてそのスポーツを続けるには、私立の学校を受験する必要があったんです。

 

中学時代はどのように過ごしていましたか?

部活動を目的として入った学校だったんですが、中1の夏前にはその部活を辞めてしまいました。

 

それはなぜ?

中1の5、6月頃に、些細なことで同学年の子達との間にわだかまりができてしまったんです。

それから目の前でコソコソ陰口を言われたり、先輩たちとグルになって嘘をつかれたりするようになりました。

 

そういうのがつらくてだんだんと自分から周囲と距離を置くようになり、中1の夏前には部活を辞めました。

「もう自分は1人で生きていく」なんて思ったりして。(笑)

 

部活を辞めてからは、どのように過ごしていましたか?

部活を辞めたことでクラスでも浮いてしまい、1人で過ごすようになりました。

 

1人で学校生活を送るというのは大変でしたか?

私の場合は、暴力を振るわれるといった直接的ないじめではなかったので、ひたすら周囲をシャットアウトすることで自分を保っていました。

 

お昼休みはイヤホンで音楽を聴いて、漫画を読みながら過ごすとか。

物理的に周囲の情報を遮断して自分だけの世界に入っていれば、周りの陰口や嘲笑を気にせずにいられました。

 

ただ親に申し訳ない、という気持ちは常にありましたね。

きっと私が楽しい生活を送っていると思って毎朝お弁当作ってくれているんだろうな、って。

 

 

 

自分の味方になってくれた両親の存在

 

当時、学生生活の支えとなったのはどんなことでしょうか?

実は当時、とある男性アイドルにはまっていて。(笑)

彼らにかなり助けられました!やはり、好きなものに熱中できると強いですね。

当時はSNSがまだ無くて、インターネットの掲示板を通じてファン同士仲良くなり、やりとりをしていました。

 

メル友ってやつですね。

そうですね。文通したり、一緒に握手会へ行ったり。

そういうのは楽しかったですね。

 

あとはやはり、親です。

親は、どんな時でも味方になって守ってくれました。

それが一番大きな支えでしたね。

 

親御さんですか。

はい。父親の方針で、1日おきでも良いから学校には必ず行くように言われていました。

 

今思うと、どんな状況になっても学校に通い続けたから、いじめに負けずにいられたのかなって思います。

 

宮川さんにとって、親御さんの存在は大きかったんですね。

とても大きかったです。親は私がいじめられていることで、学校と何回も話し合いをしてくれました。

一番身近に、一番強い味方がいるというのはやはり安心感がありましたね。

 

当時よく親に言われたのは、「無関心になれ」ということです。

例えばSNSで嫌がらせをされていたら、SNSごと辞める。自分の世界から相手を締め出す。

 

自分を攻撃してくる相手に対して無関心になるのは、自分の心を守る上で大切です。

 

 

◎2度目のショックで、一貫校を出ると決意した

 

中2の時に、仲の良い友達ができたと聞きました。

相変わらず1人で生活していたんですが、そんな中1人だけ友達ができました。2年生の頃はその子とずっと一緒にいました。

 

どんな子だったんですか?

とても明るい子でしたね。

 

でも、中3にあがる時にその子が学校に来れなくなったんです。

話もできないまま3年次にクラスが分かれて、それっきりになってしまいました。

 

そして周囲から「彼女が学校に来なくなったのは宮川のせいだ」と言われて、3年にあがる頃には私も教室に行けなくなりました。

 

苦しい時期ですね。

今となっては、その子の不登校にはさまざまな要因があったと理解できるんですが、やはり当時は私が原因という噂が流れていたので、つらかったです。

 

部活関係で1度目のショックを受け、2度目にその子との関係でショックを受けて、教室に行くことが怖くなりました。

 

そしてその時に、「中高一貫校を出よう」と決意したんです。

 

教室に通えなくなってからは、学校のカウンセラー室に通っていたんですよね。

はい。毎日カウンセラー室に通って受験勉強をしていました。

 

カウンセラー室は、教室と比べて気持ちが楽でしたか?

うーん…やはりそれはそれでつらいんですよね。周りと違うから…。

 

「なんで自分はダメなんだろう」とぐるぐる考え、人と関わることが怖くなりました。

「親友」って自分には一生できないんだろうなぁって。

 

 

 

高校で、自分を受け入れてくれる存在に出会う

 

高校は、1学年約700人といういわゆる「マンモス校」に進学したんですよね。

はい。高校選びは直感で決めました!

1学年700人ともなると、本当に色んなタイプの子が集まっているんですよね。

そこで初めて、私のことを「おもしろい」と言ってくれる子達と出会えました。

 

環境を変えたことが良かったんですね。

中学のコミュニティから思い切って離れたことが功を奏しました。

高校から新しい日々をスタートできたんです。高校時代はとても楽しかったですね。

「また明日ね」と言い合えるのが嬉しかったです。

 

もちろん、色んなタイプの子がいれば自分と合わない子もいて、何度か人間関係でもめたこともありました。

でも、喧嘩した子とも卒業する時にはなんだかんだ丸く収まったんですよね。

 

雨降って地固まるというか、高校生になれば皆ある程度大人になるので、お互い許し合えるようになりました。

 

高校時代はどのように過ごしていましたか?

バイトしたり、友達と遊んだり、恋をしたり、恋をしたり…。(笑)

たくさん恋しましたね!高校時代に「恋」という感情を知れたのはすごく良かったと思います。

 

それはなぜ?

恋をすることで初めて知る感情や、気付けることがあるからです。

 

隣のクラスの子を好きになった時、その子の前を通る際は常に笑顔でいるように心がけたんです。「いつも笑っている子だな」って思ってほしくて。

 

だから落ち込んでいる時も、好きな子が見えたら無理にでも笑顔をつくるようにしていました。

そうしたら、だんだんと本当に楽しくなってきたんです。

 

「笑う門には福来る」というか、ポジティブにいようと心がけるだけでも人生って楽しくなるんだなーって気付くことができました。

これも、恋をしていなかったら分からなかったことだと思います。

 

 

なるほど。言霊にも通じますね。

そうですね。

やはり、恋をしたなら直球で行ってほしいです。友チョコとかの逃げに走ったらダメですよ!(笑)

 

私も直球で、同じ人に2回告白しました。2回ともふられたけど。(笑)

大人になっても覚えてるくらい、良い思い出です。

 

高校時代の3年間は、人とのつながりにネガティブになっていた宮川さんを変えたんですね。

その後、大学へと進学したんですね。

はい。将来はスポーツ関係の仕事に就きたいと考えていました。

だから大学はスポーツマネジメントを学べる学科を志望し、受験しました。

 

 

思わぬところで出会った「転機」

 

大学はそのままスポーツ系に?

いえ、実は本命の大学に落ちてしまったんです。

 

滑り止めの大学に進学したのですが、そこで教師になるきっかけがあり、今の旦那さんと出会ったので、人生何があるか分かりませんね。

 

大学に進学後は、スポーツに関わっていたんですか?

はい。大学時代は運動部のマネージャーを務めていました。

 

こうお話を聞いていると、スポーツ関係の仕事から教師になるというのは大きな変化だと思うのですが…。

そうですね!

教師になろうと思ったきっかけは、2011年に起こった東北の震災です。

 

 

 

2011年3月11日に、太平洋の三陸沖を震源としたマグニチュード9.0の大地震が起きました。

当時宮川さんは、大学2年生から3年生にあがる春休みの真っ最中でした。

 

OPENiTインタビュー、その②に続きます。

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