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現代2017/04/12

OPENiTインタビュー:つながりが道を開く – 宮川咲さん②

3月11日の大震災後、首都圏の大学で休講が相次ぎました。

当時ぽっかりと時間が空いたという宮川さん。

 

 

 

何も考えずに手を挙げた

 

大学が休講になり、突然時間ができたわけですね。

はい。そうしたこともあって、震災が起こった次の週には大学の友達と一緒にボランティア団体の手伝いを始めました。

 

そこで現地に行く話が持ち上がったんですね。

いつものように手伝いしていたら、「明日から石巻に行ける奴はいるか?」と突然聞かれて。気付いたら手を挙げていました。

 

そして2011年の4月4日に、宮城県の石巻市に行きました。

 

震災が起こったばかりの被災地に行くことは、怖くなかったですか?

本当に、何も考えずに手を挙げたんですよね。

だから動けたんだと思います。思考よりも行動が先に出たというか。

 

色々考えてしまっていたら、尻込みして現地には行けてなかったと思います。

 

なるほど。

あとはやはり両親が理解してくれたのが大きかったですね。

何千人、何万人の人が亡くなった土地に娘を送るというのは、両親も不安だったと思いますが、味方になって応援してくれました。

 

親御さんは中学校の時と同じように、変わらず宮川さんの味方になってくれたんですね。

 

(石巻市雄勝(おがつ)の写真 撮影:宮川さん)

 

 

「映画のセット」のようだった被災地

 

4月4日に石巻に到着して、どういった活動をされたんですか?

最初はひたすら泥だしでした。津波で被災者の方の家に入り込んだ泥をかきだして、泥の中から物を運び出しました。

 

4月以降、月に1回のペースで石巻に通い続けたのですが、夏休み前まではずっと泥だしでした。

 

被災者の方と一緒に作業されたんですね。

そうですね。

 

一緒に作業している方は、震災で家族を亡くしているわけなのですが、それを感じさせないんです。

被災者のほとんどが、身内を亡くしていても絶対にネガティブな感情を見せませんでした。

 

気を張っていたのだと思います。

それが私達ボランティアも分かるので、こちらも(相手が身内を亡くされていることを)知らないふりをする。

お互いに、お互いが「知っている」ということを見せませんでした。

 

被災者の方からつらさや、苦しさなどの感情が垣間見えるようになったのは、被災地に通い出して1年ほど経ってからでした。

 

被災地の様子は、どのようなものでしたか?

率直に言うと、私達ボランティアは震災前の被災地の景色を知らないわけです。

地震や津波によって壊された場所しか知らないんです。

 

なので、街が壊されたというよりも、元々そういう風につくられた映画のセットのように感じました。

 

なるほど。実際に被災地に行った人しか分からない感覚ですね。

そうかもしれませんね。

 

地面の上に、さまざまな物が全部山積みになっているんですね。乱雑に積まれた物1つ1つを見ていくと、畳だったり、家具の破片だったり、コナンの漫画だったり…私達の生活で毎日目にしているようなものばかりでした。

 

泥だしで運ぶものも、毎日私達が使っているものだったり、身近にあるものなんですよね。

自分の家にあるものが普通に泥をかぶっている。そういった感じでした。

 

当時のことで、今でも思い出すことはありますか?

ボランティア仲間と今でも話題にのぼるのが、被災地の「泥」の臭いです。

泥というよりも、「ヘドロ」なんですね。普通の畑にあるような泥とは全く違うわけです。

 

被災地の泥には、人間の血や、家の柱、生活用品、海水…全てが混ざっている。独特で強烈な臭いがしました。

 

あの臭いは今でも思い出しますし、恐らく一生忘れることはないと思います。

 

(石巻市雄勝の写真 撮影:宮川さん)

 

 

被災地で始まった子ども達の和

 

夏休み以降になると、ボランティアの内容が少しずつ変わってきたんですよね。

はい。夏休み以降は被災地の畑の再築を手伝ったり、被災者の心のケアに携わったりしました。

足湯でマッサージをしたり、仮設住宅をまわってお話を聞いたりする活動です。

 

現地の子ども達とも交流があったと聞きましたが。

私がいた地域は、津波で家族が亡くなった子達が多くいたんです。

そういった子達を集めて、夜に1時間勉強会をやるというのを4月からずっと続けていました。

そこでは普通にふざけあったり、笑いあったりして過ごしていました。

 

しかしやはり子どもにもさまざまなタイプの子がいるんです。ボランティアというのは人員の入れ替わりが激しく、そういうボランティアに対してすぐには打ち解けられない子もいました。

 

しかし時間をかけて交流を続けるうちに、仲良くなることができました。

今でも定期的に会っています。自分の妹や弟のような感覚です。

 

当時の勉強会が、今でも続いていると伺いました。

はい!今でも小中学生が土日に集まっているみたいです。

 

自分達が関わっていたことがそこで終わらずに、こうしてつながり続けているというのは、やはり嬉しいですね。

 

 

自分の目で見たことを信じる

 

当時の被災地の様子について、今の中高生に伝えるとしたらなんと言いますか?

難しいですね。

 

いくら言葉にしても、伝わる相手と伝わらない相手がいますよね。そして、どんなに言葉を尽くしても当時の様子を疑似体験してもらうことはできない。

 

その時感じたことはその時感じた人にしか分からないと思います。

 

なるほど。

今は情報が膨大にあって、簡単に手に入れることができますよね。

中には嘘や噂もあり、情報だけ得てもそれが正しいかどうか判断するのは難しいと思います。私自身、今でも見極める方法が分からずにいます。

 

だから私は、実際に現場に行って自分の目で見たものだけを信じるようにしています。

目の前で起こっていることは、嘘じゃありませんから。

そうやって自分の足で、目で、情報を得ていくことも大切だと思います。

 

 

人との関わりから、「教育」に興味が生まれた

 

現在の教師という職を目指したのは、この頃だったのでしょうか。

そうですね。

被災地での経験を経て、人と関わるって良いなと思ったんです。

 

結局最終的に人を助けるのは人だと、身をもって感じました。

例えば重機が入れないような場所に取り残された被災者を助けられるのも「人」なわけです。機械じゃない。

そして、人をつくるのが教育だと思いました。

 

教育という分野で、子ども達のために自分には何ができるだろうと考えた時に、もっと勉強したい、教師になりたいと思うようになりました。

 

 

自分を理解した時に、世界が開けた

 

少しずつ自分と向き合い、やりたいことが見えてきた時に、衝撃的な体験をしたそうですね。

はい。当時、私は親戚のお姉さんの家によく遊びに行っていました。

お姉さんも私と同じように人との関わりに苦労した経験があり、私はよく彼女に相談していたんです。

 

お姉さんと話しているうちに、私達には育った環境に共通点があることが分かりました。

 

それはどういったことですか?

2人とも、両親が仕事をしていたこともあり祖母に育てられたんです。

祖母自身に悪気はなかったのですが、2人ともよく他の兄弟と比べられていました。

 

「〇〇(弟)は優しいのにね。なんで咲はそんなに気が強いのかね。」とよく言われていました。

 

幼い時にそう言われるのは、つらいですね。

今でも思い出してしまいますね。

日常的に兄弟と比べて注意されることが多く、「弟と比べて自分は優しくない」と思い込むようになりました。

 

それから、他人と自分を比べる癖がつきました。

そして少しでも自分が周囲とズレると、途端に「自分はダメだ!」と思い込むようになっていたんです。

 

そして卑屈になって過剰に反応してしまい、トラブルにつながっていたと気付いたんです。

 

親戚のお姉さんと話すうちに、自分のそういった面に気付いたんですね。

はい。これは私にとって衝撃的な体験でした。

 

中学の頃から「どうして自分は周りとうまくやれないんだろう」と悩み続けていた、その答えが見つかったわけですから。

 

その瞬間、周りの世界が一気に開けたような感覚がしたんです。

 

謎が解けた感覚でしょうか?

そうですね。長年悩んでいたことの答えが分かったので。

 

そこから答え合わせのように過去の自分を振り返って「だからあの時不安になったのか」と自分の気持ちについても理解できるようになりました。

 

その大きな「気付き」は、自分と向き合うことで得られのでしょうか。

そうだと思います。自分のことって、分かっているようで意外と分かっていませんから。

 

自分という存在と向き合い理解するきっかけをくれたのも、親戚のお姉さんでした。

やはりそこも「人とのつながり」がポイントだったと思います。

 

 

 

自分が思うより世界は広かった

 

大学を卒業してからは、教員免許を取るために通信で勉強していたんですよね。

はい。アルバイトをしながら、2年かけて通信大学で教員免許を取得しました。

 

その2年間は、どのような日々でしたか?

やりたいこと(教員の勉強)に没頭できて、楽しかったです。

お金はなかったですけど。(笑)つらいと言ったらそれくらいで。

 

通信大学は、定期的にスクーリング(実習)もあると伺いましたが。

はい。実習では同じように通信で教員免許取得を目指すさまざまな年齢層の人に出会いました。

当時23、24歳だった私は最年少で、大体が30代後半~50代の方々だったんです。

 

迷いやあせりが生まれても、スクーリングで出会った方々と話すことで「教師になりたい」という自分の軸を保つことができました。

 

なるほど。

年代も職業もさまざまな人達と同じ目標に向かって切磋琢磨することは、良い経験になりました。

 

自分が思っているよりも世界はずっと広いんだ!と体感することができたんです。

私はまだ若い。まだ何でもできる!とも。

 

自分の視野を広くしてくれる場所に身をおくことは大切ですね。

そうですね。

狭い世界に引きこもって、卑屈になるのは良くないです。どんどんダメになりますから。

 

 

 

教師になった今

 

念願だった教師になった今、目標とする先生像はありますか?

生徒の「最後の砦」になれる教師でありたいと思っています。

 

生徒が本当に困って誰にも相談できない時に、帰ってこられるような教師になりたいです。

最後の最後には私がいるよ!って。

 

頼もしいですね。

とはいえ、やっとスタートラインに立てたという感じです。

興味のあること、やってみたいこともたくさんあります。

まだまだこれからです!

 

 

 

 

はつらつとした笑顔で語る宮川さん。

教師という、多感な時期の子ども達を向き合う仕事は、難しくも面白いと言います。

 

私達は社会の中で生きる上で、人との関わりから逃れることはできません。

その事実をどう受け取るかで、毎日の生活は大きく変わるでしょう。

 

一歩踏み出して自分と、そして人と向き合ってみる。

そこから広がる景色の素晴らしさを、宮川さんは教えてくれました。

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