21世紀あれこれ雑学TRIVIA

日本史2017/09/28

身長217cm?遺体を塩漬け?大塩平八郎の逸話に迫る

大塩平八郎の乱の中心人物

大塩平八郎(1793年3月4日-1837年5月3日)は江戸時代後半に活躍した与力・儒学者です。

与力とは今でいう警察官のような役職です。
平八郎は10代のころから与力として働き、世の中の平和と秩序を守るため奮闘していました。
正義感が強く、常に民衆の味方であったといわれています。

また武術に長け、儒学にも精通し儒学者としての顔も持っていたのだとか。
まるで少年漫画の主人公のようですね。

そんな平八郎は、有名な「大塩平八郎の乱(1837年3月25日)」を起こしたことで有名です。

当時、「天保の大飢饉(1833年~1839年)」が起こり、民衆は深刻な食糧不足に襲われていました。
わずかにとれた米も役人がすべて幕府に送ってしまうので、多くの人々が餓死したといいます。

この事態を打開するため、平八郎が民衆とともに起こした一揆が「大塩平八郎の乱」です。

乱は失敗、平八郎の遺体は塩漬けに…

しかし、乱は幕府の強大な力の前にわずか1日で鎮圧されてしまいます。

平八郎は幕府の役人に見つかった際に、爆薬と刀で自害しました。
乱の首謀者である平八郎をどう裁くかでもめた幕府側は、罪が決定するまで平八郎の遺体を塩漬けにして保管したのだそう。
まるで食材のようですね…。

罪状が決まった後、平八郎の遺体は民衆の前にはりつけにしてさらされました。
幕府にとっては憎き相手だったかもしれませんが、常に民衆の味方であった平八郎の死は、人々に大きなショックを与えたそうです。

そんな平八郎、当時の彼の着物のサイズから、身長が217㎝あったのではないかと言われています。

あくまでも着物から推測した身長なので細かなところは定かではありませんが、かなり大柄な人物だったことは間違いないようです。
平八郎は、大きな体に大きな正義感と優しさを持った男だったのでしょう。

彼の乱は1日で終わってしまいましたが、これをきっかけに各地で一揆が勃発。
多くの人々が幕府のやり方にNOをとなえたのでした。

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