誰もが心の内側に秘めている感情、嫉妬。
自分より優れている人、恵まれている人に対して羨んだり妬んだりする気持ちのことを言うもので、大抵の人は表に出さずに自分の中で折り合いをつけるでしょう。
しかし、中にはどうしてもこの感情を抑えきれず、とんでもない事態を招いてしまったという人も。
そしてときにはそれがきっかけとなって、歴史や文化に影響を与えることもあるのが嫉妬のすごいところです。

今回はこの嫉妬にまつわるさまざまなエピソードをご紹介。
そもそも嫉妬とは何がきっかけとなって生じる感情なのか。そしてそれを制するにはどうしたらいいのか。そのあたりも一緒に考えていければと思います。
自分は嫉妬なんて無縁だから、と油断していると、明日は我が身という思わぬ展開が待っているかもしれませんよ?
人類最初の殺人は兄弟間の嫉妬が原因

まずは旧約聖書に登場する兄弟、カインとアベルの物語から。
カインとアベルは、失楽園後のアダムとイヴから生まれた兄弟。兄のカインは農耕を、弟のアベルは羊の放牧をしていました。
ある日2人は神に供物を捧げることに。そこでカインは農作物を、アベルは肥えた子羊を持っていきましたが、神はカインの供物には目をくれずアベルの供物だけを喜びました。
これに腹を立てたカインはアベルを殺害。ここに人類最初の殺人と、加害者・被害者が誕生します。
カインがアベルに殺意を抱いた理由、それこそが嫉妬でした。カインは、神がアベルをひいきしたと感じたのです。
アベルを殺した罪で神に咎められたカインは、処刑されるかわりに「地上をさまよい歩くさすらい人」となることを余儀なくされます。そして流れ着いた先が、夭折の俳優ジェームス・ディーンの映画でおなじみ『エデンの東』にあるノドという土地でした。
親の愛情をめぐって生じる兄弟・姉妹間の心の葛藤を指す「カインコンプレックス」は、この物語から名付けられたもの。背景には、強い劣等感ゆえの承認欲求や、愛情を独り占めしたいという欲求があるといいます。
またこの劣等感には、血縁者に限らず友人や同僚、先輩、後輩など、兄弟関係に似た人に対して抱きやすいという特徴も。近しい関係だからこそ複雑な感情を覚えやすく、周りからの比較や評価が気になってしまう故といえるでしょう。
嫉妬に駆られて生霊を生み出した悲恋の貴婦人

お次は日本が世界に誇る長編物語『源氏物語』の登場人物、六条御息所(ろくじょうのみやすどころ)について。
ご存知の通り源氏物語といえば、主人公・光源氏の数々の恋愛遍歴が綴られたお話。この六条御息所は、光源氏の恋のお相手としてだいぶ初期に登場します。
六条御息所はもともと東宮の妻で、現代でいうところの皇太子妃(!)でした。東宮の死後に年下の光源氏と恋に落ちるのですが、一筋縄ではいかない人物として描かれています。
というのもこの六条御息所。やんごとない高貴な身の上に加え、知性と教養を兼ね備え、おまけにプライドも高いという完全無欠の美女でした。
光源氏との恋も自分の身分の高さや、彼に正妻がいて自分が愛人の立場であること、そして何より自分が彼より年上だという引け目を理由になかなか素直になれません。気位の高い彼女を持て余した光源氏は、次第に彼女から離れていってしまうのでした。
表面上は抑えていても、本当は狂おしいばかりの恋情と嫉妬に身を焦がしていた六条御息所。そこへ光源氏の正妻・葵の上とのトラブルが重なり、ついに精神が暴走。生霊となって葵の上を憑り殺してしまいます。
自分の犯した罪におののき、光源氏からの愛を完全に失ったと察した六条御息所は彼との別れを決意。遠方へと旅立ち、その身を引くのでした。
自分の気持ちに素直になれず、愛した人も、その周りの人も不幸にしてしまった六条御息所。
しかし彼女は恋に身をやつした憐れな女性というだけでなく、なんとも人間らしく、いじらしい人でもあるように描かれています。
それは作者の紫式部が彼女と同じ女性であったことや、当時の宮中文化が女性にとって大変窮屈な世界だったということ、そして彼女のように心の中で嫉妬の炎を燃やしていた女性がどれだけ多かったかということが関係しているのかもしれません。
多情な夫への怒りを浮気相手に向ける嫉妬深き神々の女王

最後は世界中に数多く存在する神話の中でももっとも嫉妬深く、もっとも恐ろしいとされるギリシャ神話最高位の女神・ヘラの登場です。
主神ゼウスの妻であり婚姻を司る女神ヘラは、ローマ神話においては「ジュノー(Juno)」と呼ばれ、これがジューン・ブライドと呼ばれ結婚に人気のシーズンである6月=Juneの名前の起源となっています。
婚姻の女神だけあってヘラ自身は貞淑なのですが、残念ながらゼウスはそうではありません。次から次へと浮気を繰り返すゼウスに対し、ヘラは常に嫉妬の炎を燃やし続けています。
ただし、彼女が憎むのは夫ではありません。その浮気相手の女性たち(ゼウスとの間に生まれた子どもも含む)です。
その怒りたるやすさまじく、ありとあらゆる手段を以って相手を追い詰め、時に殺し、時に化物へと変化させるなど徹底的に責めあげます。
ヘラにひどい目に遭わされたという神々の逸話は枚挙にいとまがないのでここでは割愛しますが、注目すべきは「なぜヘラは夫ではなく浮気相手を憎むのか」という点と、「なぜ浮気性の夫と別れないのか」という点です。
そもそもゼウスの浮気も、相手の女性たちが誘惑したならともかく、十中八九ゼウスのちょっかいから始まっています。女性たちはむしろ被害者です。
そして諸悪の根源(?)であるゼウスと別れてしまえば心穏やかに過ごせるはずなのに、決して別れようとしないヘラ。これはなぜなのでしょうか。
諸説あるようですが、有力なものに「ヘラは夫ではなく相手の女性を憎むことで、自分自身を守っている」という説があります。
夫に浮気されるほど魅力が不足しているのも、浮気性の夫を選んだのも自分。つまり悪いのは自分ではないか? と自分で自分を責めるのを避けているというのです。
そして何より、よそ見ばかりのひどい夫でも失いたくない。
そうなると怒りや憎しみの対象は、浮気相手など自分たち夫婦とは別の人物に向けられるようになるもの。
ヘラが浮気相手の女性を執拗に追い詰めるのは、相手の存在を消すことで自分の落ち度も消そうとしているからなのではというこの説は、最高位の女神であるプライドの高いヘラならではといえるでしょう。
ヤキモチはほどよくこんがりと

嫉妬に関する3つのエピソードに共通するキーワードは、「愛情」と「自尊心(プライド)」です。
愛されたい、認められたいという思いは誰もが抱くもの。その思いをプラスのエネルギーに転換できれば、目標などを成し遂げるための原動力になるでしょう。
しかし暗い影がかき消せないままだと、心は千々に乱れ、やがて嫉妬という御しきれない炎を抱え込むことになります。
嫉妬自体は決して悪い感情ではありません。男女の付き合いでも、友人や仕事仲間との関係でも、多かれ少なかれ嫉妬はあるもの。要はそれをどう受け止めるか、そしてどう活用するかだといえます。
そのためには、嫉妬に振り回されないよう「自分に自信を持つ」ことが肝心です。自分と誰かを比べたり、相手の愛情を測ったりするのではなく、あるがままを受け入れられる自分を目指しましょう。