2017年4月、エクアドルの首都キトにて、車椅子に乗った1人の男性が力強く叫びました。
「私はすべての国民のための、中でも特に貧しい人々のための大統領になる!」
男性の名前はレニン・モレノ。
4月2日に行われたエクアドルの大統領選挙で見事勝利した、エクアドルの新たな大統領です。
モレノを銃弾が襲ったのは1998年。脊髄を損傷した彼の身体には麻痺が残り、歩くことができなくなりました。
しかしモレノは止まることなく、車椅子に乗りエクアドルの人々のため活動を続けます。
今回はエクアドルの新大統領、レニン・モレノ氏について紹介していきます。

(レニン・モレノ氏)
両親の影響を強く受けた幼少時代

レニン・モレノは1953年3月19日、南米エクアドルのアマゾン近くにある「ロカフエルテ」という小さな町で生まれました。
モレノの両親は2人とも教師で、アマゾンの先住民の子どもたちやエクアドル人と先住民のハーフの子たちに勉強を教え、ロカフエルテに学校を建てる活動を行っていました。
エクアドルで暮らす先住民は国民全体の約25%~30%。
今でこそ先住民の子どもたちへのスペイン語とキチュア語(先住民の言葉)の二言語教育は浸透しつつありますが、モレノが幼かった1950年代はまだまだ活動への理解が得られていませんでした。
現地の子どもたちのため、決して多くない給料を割き惜しみなく活動を行う両親を見て育ったモレノは、その姿に強く影響を受けました。
「助け合いの心は、両親から学んだ」
と後にモレノは語っています。
彼が貧しい人々や障害を持った人々のために精力的に活動するのには、こうしたバックグラウンドがあるのです。
大学を卒業し観光事業に勤める

モレノは首都キトにあるエクアドル中央大学へ進学し、行政や心理学について学びました。
彼は非常に優秀な生徒であったとの記録が残っています。
大学を卒業してから、モレノはメーカーや出版社を経てエクアドルの観光協会へと就職します。
彼はそこで観光事業に積極的に従事。1997年からは協会の取締役を務めました。
彼のキャリアは誰が見ても順風満帆でした。
しかしモレノが45歳の1998年、突然の悲劇が彼を襲います。
強盗に襲われ下半身が麻痺状態に

(施設を訪れるモレノ氏)
1998年1月3日、モレノは妻とキノにあるパン屋で買い物をしていました。
駐車場に戻った時、突然2人組の若い男に背後から声をかけられます。
「車と金をよこせ」
モレノは大人しく強盗の言うことを聞き、車のカギと財布を渡しました。
にも関わらず、強盗はモレノの背中に発砲。
2発の銃弾はモレノの脊髄を激しく傷つけました。
この怪我により、モレノの身体には一生治らない麻痺が残りました。
事件から数年の間は、あまりの痛みにベッドから起き上がることができなかったそうです。
彼の身体は自由を失い、歩くことができなくなってしまいました。
入院生活を余儀なくされたモレノは、障害によって仕事をも失います。
入院生活で気付いた「ユーモア」の大切さ

(支援者に囲まれるモレノ氏)
苦しい入院生活の中、モレノはあることに気が付きます。
それは、友人がお見舞いに来てモレノを冗談で笑わせている間は、身体の痛みを忘れられるということ。
彼はそれから、本で読んだ「ラフター・セラピー(Laughter therapy)」を実践し始めます。
ラフター・セラピーとは、笑うことで病を克服しようとする治療法です。
モレノの主治医はこの治療法に懐疑的でした。
しかしラフター・セラピーを始めてからモレノは車椅子に乗って動けるようになり、事件から4年後には公務員として働けるまでに回復したのです。
この経験から、彼は「イベンタ(Eventa)」という団体を設立。
ユーモアや人生の楽しさを広めるため、執筆活動や講演活動を行うようになりました。
そんな彼の活動が、エクアドルの前大統領である政治家のラファエル・コレア氏の目にとまります。
政治の道へ

(演説をするモレノ氏)
2007年から2013年まで、モレノは前エクアドル大統領ラファエル・コレア氏のもとで、副大統領を務めました。
政治の道へ進んだモレノは、まず在職1年目でエクアドルにいる障害者についてくまなく調べました。
当時、エクアドル政府が障害者へ打ち出した予算は約100,000ドル。日本円で約1100万円と、決して多くありませんでした。
モレノはそれを50倍(約5億5000万円)に増額。
国内に60万人いる障害者のうち、生活ができない1万5000人に収入と住む家を与え、4000人の人々に義肢を用意しました。
マイノリティのために

(談笑するモレノ氏)
モレノは「Manuela Espejo Slidarity Mission for the Disabled (以下:連帯)」という団体を設立。
連帯はエクアドル国内にいる何千人という障害を持つ人々に、技術的な補助や精神的なサポート、またリハビリ施設を提供しました。
2009年から2010年までの一年間に、連帯は国中にある120万戸の家を訪問し、約30万人の障害を持つ人々に「なにが一番必要か」聞いてまわったといいます。
こうした連帯の取り組みは現在エクアドルのみならず、パラグアイやペルー、コロンビアやチリなど他のラテンアメリカ諸国にも広がっています。
モレノの目は常に、社会のマイノリティ(少数派)へ向いています。
彼らはマイノリティだからゆえに社会的弱者になることが多く、最も助けを必要としているにも関わらず政府へその声が届きにくいのです。
モレノは意識的に、こうしたマイノリティの声をすくい上げる活動を続けていきました。
ノーベル平和賞ノミネート、国連特使へ

(政治家と話し合うモレノ氏)
2012年、モレノはこうしたマイノリティ(とりわけ障害を持つ人々)へのさまざまな活動が評価され、ノーベル平和賞へノミネートされました。
残念ながら、180か国もの国々がモレノを支援したにも関わらず、賞はEUが受賞しました。
とはいえ、このノミネートはモレノの活動を世界に知らせる良い機会になったのです。
2013年から2016年の3年間、モレノはパン・ギムン前国連事務総長のもとで障害問題特使を務めました。
世界中にある障害者の問題を、国連へと伝える役目を担ったのです。
そして2016年10月1日、モレノが2017年のエクアドル大統領選挙へ立候補することが明らかになりました。
新たな大統領

(歓声にピースで応えるモレノ氏)
2017年4月3日、モレノは対抗馬のギジェルモ・ラッソ氏を抑え、エクアドル大統領選を制しました。
得票数はモレノが51.11%、ラッソが48.89%と、混戦を極めました。
モレノは勝利演説にて、次のように述べています。
「引き続き、改革を続けていこう。たくさんのことを成し遂げてきた。しかし、まだ成さねばならない仕事が残っている。」
モレノの写真を探すと、朗らかな笑顔で写っているものが多いことに気付きます。
ユーモアや日常に潜む喜びを忘れず、しかし笑顔のしたに確固たる意志を持ち続ける。
エクアドルの新たな大統領が世界に新しい風を起こす日は、そう遠くないかもしれません。