バルト三国・リトアニアの無形文化遺産

(十字架の丘の一部)
無数の十字架が丘を覆いつくす、圧巻の眺め。
「バルト三国」の1つ、リトアニアの都市「シャウレイ」中心部から北へ12km進んだところにある「十字架の丘」は、カトリックの巡礼地として有名です。
小高い丘の地面が見えないほど建てられた十字架の数は、大小含めて50,000以上になると言われています。
十字架だけでなくイエスの受難像や聖母マリア像など、さまざまなカトリックの象徴が混在するこの丘は、2008年に『リトアニアの十字架の手工芸とその象徴』としてユネスコの世界無形文化遺産に登録されました。
きっかけはロシア帝国への蜂起

(遠くから見た十字架の丘)
丘に十字架が建てられたのは、1831年の『11月蜂起』、そして1863年の『1月蜂起』がきっかけでした。
当時リトアニアは、勢力を伸ばしていたロシア帝国の占領下におかれていました。
虐げられていたリトアニアの人々は、1831年と1863年の2回、ロシア帝国に対して反乱を起こします。
しかしどちらも蜂起も失敗に終わり、ロシア帝国によって多くのリトアニア人が殺されました。
犠牲となった反乱兵の家族がこの丘に十字架を建てたのが、「十字架の丘」の始まりだと言われています。
1918年にリトアニアが独立を達成した後、丘は平和のために血を流した多くのリトアニア人ための祈りの場としての役割を果たしています。
「十字架の丘」へは誰でも入れる

(十字架の丘 内部)
冷戦時代、丘は幾度となくソビエト連邦による破壊を受けました。
しかし、十字架が消えることはなく、その数は現在も増え続けています。
「十字架の丘」はどの管轄にも属さない巡礼地であるため、誰でも自由に出入りすることができます。
もちろん、十字架を建てるのもOK。
丘の十字架の中には、日本語で書かれたものもあるそうです。
多くの人々の祈りを表す無数の十字架を、一度は見てみたいですね。