「戦国BASARA」や「真田丸」で活躍する独眼竜

伊達政宗は、言わずと知れた戦国時代の大名です。
出羽国と陸奥国(現代の山形県と宮城県あたり)を治め、仙台藩の初代藩主を務めました。
伊達政宗の人気は高く、近年ではアクションゲーム「戦国BASARA」や大河ドラマ「真田丸」に登場し若い世代のファンも増えています。
「独眼竜」と呼ばれる眼帯姿は、なかなか格好良いですよね。
すっかり眼帯姿のイメージが日本人には定着している政宗ですが、実は戦国時代に描かれた彼の人物画には眼帯は描かれていません。
また、片目を失明しているようにも描かれていないのだとか。
一体なぜなのでしょうか。
今回は、「独眼竜」伊達政宗の人物画の豆知識をご紹介します!
「独眼竜」を描かないのは伊達政宗の要望だった

伊達政宗は幼い頃、天然痘にかかり右目を失明したという記録が残っています。
当時日本では天然痘が流行っており、片目だけでなく両目を失明する人も多かったそうです。
政宗は、両親がくれた体なのに失明してしまったことは親不孝だと考えていました。
そのため、自分の人物画を描くときは隻眼(片目を失明している状態)には描かないでくれとの要望を出していたそう。
当時の絵師は、そんな政宗への敬意もこめて両目のある状態の絵を残したのです。
ちなみに当時伊達政宗が眼帯をしていたという記録はありません。
伊達政宗を主人公にした1942年の映画『独眼竜政宗』にて、政宗を眼帯姿で登場させたところその姿が定着したそうです。
余談ですが、政宗は料理好きで、ずんだや高野豆腐を生み出したのも政宗なのだとか。
戦や政治、料理など多才だった伊達政宗。
現代にファンが多いのも納得ですね。