時代劇でおなじみの「影武者」

『敵をあざむくため、または身代わりにするため、主将などに容姿を似せて同じ装飾を
させた武者』…。これは広辞苑に載っている【影武者】の記述です。
武将の代わりに家臣が影武者になる描写を、時代劇で見たことがある人もいるかもしれませんね。
さてこの「影武者」ですが、本当に存在していたのでしょうか。
戦の多かった戦国時代の文献を調べてみても、「影武者」という言葉はほとんど見当たらないそう。
影武者の記述がない一方、武田信玄や徳川家康の戦に関する文献には「影法師(かげほうし)」という役目の者がいたと残っています。
影法師とは、一体何者なのでしょうか?
徳川家康を守る「影法師(影武者)」?

影法師の「法師」とは、僧侶のことではなく「人」という意味です。
影法師とは、「影の人」。つまり「影法師」が今でいう影武者の役割をになっていたのです。
戦国武将の影武者というのは、実在したのですね。
甲斐の大名、武田信玄の戦略や戦術が記されている軍学書『甲陽軍鑑』には、影法師が正式に軍に加えられていたという記録が残っています。その数は3名。
戦のときにはその影法師3名が武田信玄と同じような格好をして、信玄の馬と同じような模様の馬に乗っていたのだとか。
また、19世紀前半にできた江戸幕府の公式記録『徳川実紀』には、徳川家康が「三方ヶ原の戦い(1573年)」で負け逃げる際に家臣と鎧を交換し、家臣が家康の「影法師」になったという記録が残っています。
武田信玄や徳川家康以外の戦国武将も、それぞれ影法師がいたのではないかとされています。
表向きは存在しない者とされている「影法師」は、裏で武将を守るため活躍していたのですね。