平安時代の二大女流作家、紫式部と清少納言

紫式部と清少納言は、平安時代の女流作家です。
それぞれの代表作『光源氏物語』と『枕草子』はどちらも有名ですね。
2人は同時期に宮中に仕えていましたが、お互いにほとんど面識がなかったそう。
今回は紫式部と清少納言、2人の特徴をそれぞれピックアップしてみます。
紫式部

名前:紫式部
「紫」→愛称
「式部」→位
紫式部の父(藤原為時)の位が式部だったので、「藤原さんの娘の紫さん」という意味があります。
生年:970年(諸説あり)
出身:越後(今の新潟付近)
性格:内向的で控えめ
仕えた相手:中宮彰子
彰子は第66代一条天皇の正妻で、藤原道長の娘です。
紫式部は彰子の使用人兼家庭教師として宮中に入りました。
代表作:光源氏物語
結婚:1回(藤原宣孝)
子ども:1人(藤原賢子)
没年:1014年(諸説あり)
道長と彰子は、実の親子でありながら度々対立していました。
彰子側についていた紫式部はやがて道長から疎まれるように。
1013年に宮中から追い出されると、紫式部は父のもとで暮らし、1014年に亡くなりました。
清少納言

名前:清少納言
「清」→あだ名
「少納言」→位
清少納言の苗字が「清原」だったので、「清原さんの娘さん」という意味があります。
生年:966年(諸説あり)
出身:東北地方
性格:外交的で活発
仕えた相手:中宮定子
定子は第66代一条天皇の正妻で(彰子と同じ)、藤原道隆の娘です。
定子は彰子のいとこにあたります。
清少納言は定子の使用人兼家庭教師として宮中に入りました。
代表作:枕草子
結婚:2回(橘則光、藤原棟世)
子ども:2人(橘則長、小馬命婦)
没年:1025年(諸説あり)
清少納言が仕えていた定子が1000年に出産が原因で亡くなると、清少納言は宮中から退出。
晩年は尼として京都府の泉涌寺で暮らし、1025年に亡くなりました。
紫式部と清少納言、2人の才女

宮中退出後の2人の晩年は静かなものでした。
平安時代は女性に関する記述が少なく、2人の引退後の生活を記録した史料もほとんどありません。
内向的な紫式部と外交的な清少納言は対照的ですが、類まれなる才能を持っていた点は共通していると言えますね。