笏は貴族の必需品?

平安時代など王朝時代の貴族は、「笏(しゃく)」というしゃもじのような長細い板を手に持って描かれていることが多くあります。
718年(養老2年)につくられた「養老律令」と呼ばれる基本法典(さまざまな分野の規則をまとめたもの)では、貴族の服装規定の1つとして「右手に笏を持つこと」が明記されています。
一体笏は何に使われていたものだったのでしょうか?
笏はカンペを貼るためのものだった?

元々は、右手に持ち「貴族としての貫禄を出す」ためのものだったという笏。
しかし、実際に笏が浸透していくにつれて、もっと実用的な使い方をされるようになっていきました。
それは、カンペ(カンニング・ペーパー)を貼り付けること。
当時貴族は式典において複雑な文書を独特の読み方で読み上げるなど、作法に関して覚えなければいけないことが山ほどありました。
一生懸命勉強しても、当日失敗してしまうかもしれない。
そういった貴族の不安を解消するために、笏の裏側(自分から見える側)に文書のメモを貼り付けることが主流になっていったのだとか。
もっとも、笏が生まれた唐(当時の中国)ではこの使い方は一般的だったようなので、より笏の起源に近づいたと言えるかもしれません。
中にはこんな使い方をする貴族も…

カンペを貼る以外にも、笏はさまざまな使い方をされたそう。
例えば、靴を履く時の靴ベラ代わりに。
または、人を呼ぶ時に笏で招くなど。
中には、言い合いをした時に笏で相手を叩く貴族もいたのだとか。
笏は長さが約30cmと、何かと使いやすい大きさでした。
便利な形・サイズだったことも、笏が貴族の生活に浸透していった要因かもしれません。