天下統一を果たした戦国武将

豊臣秀吉といえば、知らない人はいないほど有名な戦国時代の武将です。
天下統一を果たした大名として、織田信長、徳川家康とともに「戦国の三英傑」の1人に挙げられています。
秀吉は、今でいう「多指症(たししょう)」であったという記録が残されています。
多指症とは手足の指が5本よりも多い病気のこと。
秀吉は、右手の親指が2本あったそうです。
前田利家とルイス・フロイスの記録

現代でも1000人に1人が多指症で生まれてくると言われています。
割合的には決して少なくないのですが、ほとんどが赤ちゃんの時に手術をして6本目の指を切除してしまうそう。
豊臣秀吉の親指が2本あったという記録は、2つの文献に残されています。
●国祖遺言
戦国武将・前田利家が自らの家来に向けて綴った文章です。
そこに、
「上様ほとの御人成カ御若キ時、六つ由ひヲ御きりすて候ハん事にて候を、左なく事に候」
(太閤殿下ほどの人物ならば、若い時に6本目の指を切除していてもおかしくはないのに、それをなさらなかった)
と残されています。
太閤殿下とは秀吉のことを指しています。
●日本史
戦国時代に日本に上陸し、キリスト教を布教していたイエズス会の宣教師ルイス・フロイスがその記録をまとめた著書「日本史」に、秀吉のことが書かれています。
「身長が低く、醜悪な容貌の持ち主だった。片手には六本の指があった」
当時、キリスト教の布教を恐れた家康とルイス・フロイスの仲は険悪なものだったそう。
それにしても、醜悪な容貌とは…。ひどい記録を残すものです。
秀吉以外にも、多指症だったのではとされる有名人は日本史以外にも多く見つけることができます。
昔から多指症は珍しくなかったようで、家康が6本の指を持っていたという説も、近年では真実だと認識されています。