中世のローマ教皇、ボニファティウス8世

ボニファティウス8世は、13世紀末のローマ教皇です。
宗教熱が上がっていた11世紀から13世紀末までのヨーロッパでは、教皇の地位は非常に高いものでした。
教皇が権力を振りかざして、好き勝手やっていたのもこの時期です。
ボニファティウス8世も歴代の教皇たちに引けず劣らずワガママで強欲な「悪名高き」教皇だったと言われています。
ボニファティウスの権力は続かず…

ところが13世紀末から、権力はローマ教皇から国王へと移っていきます。
しかしそれを許さないボニファティウス8世は、当時のフランス国王であるフィリップ4世と領土をめぐって争います。
それまでの教皇ならば例え国王であっても好き勝手動かせたのですが、もうそんな時代ではありません。1303年、ボニファティウス8世はローマの南にあるアナーニーで捕らえられてしまいます。(アナーニー事件)
そして釈放された後、ボニファティウス8世はあまりの屈辱と怒りにより「憤死」します。
これが有名なボニファティウス8世の憤死事件です。
ボニファティウス8世、憤死

「憤死」って聞くと、皆さんどんなことをイメージしますか?
猛烈に怒って頭の血管が切れたり、屈辱のあまり心臓発作を起こしたり…かなり激しい死に方を想像するのではないでしょうか。
しかし実際には、ボニファティウス8世は釈放されてから一か月後に死亡したそうです。
一か月後に突然怒りで死ぬなんて考えにくいですよね。
ボニファティウス8世は元々腎臓が悪く、加えて日頃から高血圧だったそう。
元々高齢だったのに加えアナーニー事件によるストレスで、こうした持病が悪化したのではないかと言われています。
では誰が「憤死」と言い出したのかと言うと、当時のローマの民衆なのだとか。
当時の民衆が教皇の死因を詳しく知ることができたとは思えませんので、おそらく想像で広まったのでしょう。
怒りで体調を崩す…なんてことがないよう、私たちは穏やかに生きていきたいものですね。